2月29日(水)〜3月4日(日)
11:00〜17:00(初日は12:00より)
アートフォーラムあざみ野 市民ギャラリー
(田園都市線、横浜市営地下鉄 あざみ野駅より、徒歩5分)
二年間創りためました作品を展示いたします。
ご来館をお待ちしております。
私のアトリエは二階にあって、窓の外すぐ近くに、「いろはもみじ」が枝を伸ばしている。赤い芽吹き、赤い花、赤いプロペラのような種。秋の紅葉だけでなく、もみじはこんなにも赤くなりたがっているのか、と思う。このもみじ、よほど場所が気に入ったのか、7年前に移植してからぐんぐん育っている。それに、今頃になると、一節しかない小さな実生のもみじの赤ちゃんが、庭中に顔を出す。その場所で大きくなられても困るが、抜いてしまうのも寂しい。そこで、私はせっせとその苗を植木鉢に寄せ植えする。友人の家にも養子に出していて、「今年も、かわいい葉がでましたよ。」なんて知らせが入ると、嬉しい。
今は柑橘類も花盛りだ。私が育った東京の家には、祖父が徳島から取り寄せたという柚子の樹があって、ひところは何千という実をつけた。移植を二回繰り返して小さくなってしまったが、それでも私はその柚子を死守していて、毎年柚子ジャム作りを楽しんでいる。
父は苗木を植えるのが趣味だった。主に雑木と言われるような樹が多く、「自然な感じがいいだろう!」と言って、せっせと水遣りをしていた。父が亡くなって、私は好きな樹だけ、スペースが許すだけの樹をもらった。7年前に庭造りをした時に来てくれた植木屋の親方との会話が耳に残っている。「あの樹は、どうしましょうか?」と親方。「もうスペースが無いから、諦めましょう。」と私。・・・「やっぱり、移植してください!」と私。「そうでしょう!あれはいい樹ですよ。」と満面の笑顔の親方。それは、「ごんずい」という樹。なかなか個性的で、庭に厚みを出してくれている。
私の庭は、3軒のお隣さんに囲まれている。「おはようございます!」や、「こんにちは!」と庭越しに挨拶をするのが楽しい。それでも、見えすぎはお互いに困る。お隣さんに迷惑がかからないくらい、家の明かりが見え隠れするくらい、風が通るくらいがちょうどいい。
シルバーの植木屋さんをやっている友人に手伝ってもらいながら、この庭を出来るところまで守っていきたいと思っている。
* * *
ずいぶん迷っていた。「もう年齢的に、新しい犬は飼えない。」という同年齢の友人。残された時間にできるだけの仕事をしたいのなら、犬はやめた方がいいとも思った。限りある体力、時間を、どう使うか?
家のすぐ近くにあるペットショップで12月のある日、私はその仔犬を見つけた。決定的な出会いという確信はなかったけれど、家に連れて帰ると、その子はどうしようもなく可愛かった。「私の子」だと思った。
名前は「ナツ」。息子が幼いころ読んできかせた「タロとナーちゃん」の絵本が心に残っていて、「ナーちゃん」と呼びたかったから。
予防接種も済んで、散歩を始めて十日たった。ナーちゃんと接していると、心に積もらせ過ぎたものが消えていって、気持ちが透明になっていく。胸に抱くと、確かな命を感じて愛しい。
朝の散歩では、エネルギーに満ち溢れているナーちゃんに影響されて、階段を駆け上がったり、ジョギングになったり。帰宅すると、少々疲れている。これから仕事なのにまずい!と思う。でも、きっと体が慣れてくるに違いない。(・・・と思う。)
私はこの子のためにも元気でいなければ、と心に誓う。
犬から得るものと、費やす時間、費用、失う自由、最後まで面倒がみられるだろうか?という不安。それを天秤にかけるのは難しいが、ナーちゃんは私に、「現役バリバリ、人生真っ只中」の感覚を持ってきてくれたような気がする。やはりナーちゃんの乗っかったお皿の方が重いよ。
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アトリエ・ヨシイエ 作品展
12月1日(火)〜12月6日(日)
11:00〜17:00
横浜市民ギャラリーあざみ野 展示室1F
約二年ぶりの教室展です。大きな会場ですので、充実した展示になるよう知恵を絞っているところです。総勢約二十人。年齢的には、私が真ん中くらい。高校時代の文化祭の乗りで、これから徐々に加速して、最高潮で作品展に突入できたらと思います。
話は変わりますが、ここのところモーツァルトの「フィガロの結婚」でケルビーノが歌う「自分で自分がわからない」を練習しています。歌う前に、「私は十代の男の子。すらっとした、しなやかな体の、若さみなぎる・・・」と暗示をかけるのです。すると、いくらか軽やかに歌え、高音もいくらか出るようになります。これからは、こうした作業が効果的なようです。ただ一つ困るのは、我に返った時に、どっと疲れを感じること。
でもまあ、お客様に楽しんでいただけるよう、私たちのいい思い出になるよう、張り切っていこうと思います。
最近、庭に苔が目立つようになった。周囲に建物が建って、日当たりが悪くなったためだろうが、家を出入りするたびに、目を楽しませてくれている。
「苔」というと、自分の進路に悩んでいた14〜15歳のころ、ふと、考えたことがあった。「世の中に、苔の研究に一生を捧げる人がいるのは何故だろう。」ことさら「苔」を取り上げ考えたのは、いかにもちっぽけである、ということ。しかしその反面、美しさに惹かれてもいたのだろう。
世の中には花の咲く草もある。実をつける樹木もある。植物以外に、動物もいる。人間もいるというのに、よりにもよって、なぜ苔なのか。思春期の私は、自分が生きることの価値、意味を模索していて、答えは、とても苔の中にあるとは思えなかった。
では、いったい何の中に人生の意味を教えてくれる解答があるのだろうか。
私がまず出会ったのは絵画だった。色と形で表現されたものに、私の心は反応したのだった。その延長線上を、今もホームスパンというジャンルで歩き続けている。
それから文学。ドフトエフスキイの「カラマーゾフの兄弟」は、手織り界の先輩、志村ふくみさんがご本の中で取り上げていらしてびっくりしたが、私がもっとも影響を受けた小説だ。
音楽に心底揺さぶられたのは、かなり遅かったのかもしれない。しかしその分、今でも新しい分野を開拓している。この十年で根付いたのは、アルゼンチンタンゴ。アイリッシュは、この二年ほど。オペラも友人の指南で観るようになった。
私がこうしたものから教わったのは、結局何だったのだろう。芸術というものから教わったこと。それは、決して芸術の分野に限らない、人間の生き様に対する「愛」だったような気がする。
今は、人間のやることは、どれも、やる人の人生の重みを内包しているものであって、どの仕事にも素晴らしい取り組み方があるのだと思っている。そして、この美しい「苔」の研究に一生を捧げる人生もまた、素敵だと思う。
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玄関のドアにペンキを塗った。桟があるので、多少めんどうだったけれど、イメージ通りに仕上がったと満足している。
玄関はその家の顔だからと、立派に、重々しく、格調高く、と考える人もいるだろうが、そんな玄関は、私には似合わない。楽しく、明るく、ある落ち着きはあって、何よりも人が入りたくなるような、玄関というより、そんなドアがいい。
一昨年、アイルランドに行った時、ジョージアン様式の入口を沢山見た。まるで幼稚園で使うクレヨンのような、単純な赤とか青、緑などにべったり塗られているが、ドア上部は優雅な半円形のファンウィンドウに飾られ、両脇には細い柱。建物自体が落ち着いた色なので、とてもきれいだった。個人の家の入口も、質素であっても、どこか楽しげ。ペンキの色選びに、生活を大切にしている様子が伝わってきて楽しかった。
私は、すっかりアイルランドが好きになった。一番感動したのは、人々の目線が私と同じ高さにあると感じたこと。上から見下さない。下から見る卑屈さもない。あなたと私は同じ人間、という目線だ。
短い旅行で、どれほどのことが分かったのか疑問だが、帰国してから、日本人の中にアイルランド大好き人間が、驚くほど沢山いることを知った。そして、私の感じ方がそれほど的外れではなかったような感触を得ている。
私は、塗りあがったドアを見ながら、このドアから家の中に入ってくる友人のことを考えている。最後まで塗れたのは、その楽しみがあるからだ。友人の まどかさんは、ピアニスト。私よりだいぶ若い友人だ。
まどかさんは、とっても忙しいと思うのに、必ず私の作品展に顔を出してくださる。
「ホームスパンの作品ができあがるまでに、沢山の工程を一つずつ積み重ねていくと思うと大変だな・・・」と感じるという。
私は、「何を言うの!」と思った。ピアニストさんこそ、小さな時から毎日毎日ピアノに向かい続けているのだし、一曲をステージで弾くために、どれほどの積み重ねが必要か!私は彼女に、ピアニストになること、ピアニストであり続けることの大変さを、分かりやすく(!)説明。彼女はしばし無言で考え込んでいた。
「あっ、今、気がついた。私はピアノをやってきたから、ホームスパンのことが分かるんだ。」
これはちょっと嬉しい発言だった。二人の心の中にしまっておいた、嬉しさ、辛さ、引きずって生きてきた現実の重さ、そんなものを入れた隠しドアが開いて、手が出てきて握手したような、そんな感じがしたのだ。
自分がやってきたこと、それ以上でもなく、以下でもなく、その分だけ人と繋がっていけるのかもしれない。
* * *
蒸し暑い日が続いている。
知人が遊びに来るというので、簡単なババロア、プリンを作った。どうせならと沢山作って、近所の友達の家にも持って行った。帰りにまた立ち寄って、容器を返していただいたのだけど、家に戻って包みを開けたら、「!」。小さな折鶴が、すべての容器に入っていた。よくよく調べたら、折り癖が何種類かあって、何人かで折ってくれたらしい。
私は家族という関係を卒業しているのだけど、こんな嬉しいことがあるなんて。人生捨てたもんじゃない!なんて、思うのです。
* * *
今から14年前のことになる。息子が小学校6年生の7月、学校から帰るなり、「広島の原爆記念館に行ってみたいな。」と言った。どんな授業を受けてきたのだろうか。こんな先生に受け持っていただいて、息子は幸せ、と常日頃感じていた私は、その先生が投げかけてくださった一粒の種を大切にしたかった。翌日、新幹線の切符とホテルを予約して、その翌日には二人で広島へ。そして原爆記念館に直行した。
7月半ばだったが、日差しは真夏のように強く、背中が焼けるように暑かった。あの日もこんなだったのだろうか。
息子はその夜、食事が取れなかった。翌朝、多少フラフラしている息子を連れて、私はもう一度資料館に向かった。「お母さんは多分ここにはもう来ないと思うから、もう一度見ておきたい。外で待っていてくれる?」息子は「ウン」と言ったが、結局一緒について来て、前日よりも時間をかけて見ていた。
何か新しいことを学んだのではない。ただ、原爆が本当に落とされて、多くの人が死んだり、苦しんだりした(あるいは、苦しんでいる)ことが、「本当にあったこと」として心の中にはいってきたのだ。これでやっと、広島を考えるスタート台に立ったのだと思った。
70年代 偶然出会ったアメリカインディアンの手織りの素晴らしさに感銘を受け、洋画からホームスパンの制作に転向。
現在、横浜市郊外のあざみ野にアトリエを構え、羊毛の温かい素材感と染色・混色の奥深さを生かして制作を続けている。都内のデパート・ギャラリーを中心に作品を発表。
アトリエ・ヨシイエのホームスパン教室
火・水・木・金
10:00〜17:00
自由制作ですのでオリジナル作品を創ってください
初歩より指導いたします
下記アドレスまでお気軽にご連絡下さい♪
kyo-ko91★jg8.so-net.ne.jp
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