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今から14年前のことになる。息子が小学校6年生の7月、学校から帰るなり、「広島の原爆記念館に行ってみたいな。」と言った。どんな授業を受けてきたのだろうか。こんな先生に受け持っていただいて、息子は幸せ、と常日頃感じていた私は、その先生が投げかけてくださった一粒の種を大切にしたかった。翌日、新幹線の切符とホテルを予約して、その翌日には二人で広島へ。そして原爆記念館に直行した。
7月半ばだったが、日差しは真夏のように強く、背中が焼けるように暑かった。あの日もこんなだったのだろうか。
息子はその夜、食事が取れなかった。翌朝、多少フラフラしている息子を連れて、私はもう一度資料館に向かった。「お母さんは多分ここにはもう来ないと思うから、もう一度見ておきたい。外で待っていてくれる?」息子は「ウン」と言ったが、結局一緒について来て、前日よりも時間をかけて見ていた。
何か新しいことを学んだのではない。ただ、原爆が本当に落とされて、多くの人が死んだり、苦しんだりした(あるいは、苦しんでいる)ことが、「本当にあったこと」として心の中にはいってきたのだ。これでやっと、広島を考えるスタート台に立ったのだと思った。