最近、庭に苔が目立つようになった。周囲に建物が建って、日当たりが悪くなったためだろうが、家を出入りするたびに、目を楽しませてくれている。
「苔」というと、自分の進路に悩んでいた14〜15歳のころ、ふと、考えたことがあった。「世の中に、苔の研究に一生を捧げる人がいるのは何故だろう。」ことさら「苔」を取り上げ考えたのは、いかにもちっぽけである、ということ。しかしその反面、美しさに惹かれてもいたのだろう。
世の中には花の咲く草もある。実をつける樹木もある。植物以外に、動物もいる。人間もいるというのに、よりにもよって、なぜ苔なのか。思春期の私は、自分が生きることの価値、意味を模索していて、答えは、とても苔の中にあるとは思えなかった。
では、いったい何の中に人生の意味を教えてくれる解答があるのだろうか。
私がまず出会ったのは絵画だった。色と形で表現されたものに、私の心は反応したのだった。その延長線上を、今もホームスパンというジャンルで歩き続けている。
それから文学。ドフトエフスキイの「カラマーゾフの兄弟」は、手織り界の先輩、志村ふくみさんがご本の中で取り上げていらしてびっくりしたが、私がもっとも影響を受けた小説だ。
音楽に心底揺さぶられたのは、かなり遅かったのかもしれない。しかしその分、今でも新しい分野を開拓している。この十年で根付いたのは、アルゼンチンタンゴ。アイリッシュは、この二年ほど。オペラも友人の指南で観るようになった。
私がこうしたものから教わったのは、結局何だったのだろう。芸術というものから教わったこと。それは、決して芸術の分野に限らない、人間の生き様に対する「愛」だったような気がする。
今は、人間のやることは、どれも、やる人の人生の重みを内包しているものであって、どの仕事にも素晴らしい取り組み方があるのだと思っている。そして、この美しい「苔」の研究に一生を捧げる人生もまた、素敵だと思う。